2005年07月20日

宮部みゆき「とり残されて」

設定の上手さと着想の面白さが際立っている。
要するに状況設定の卓抜さである。
もし殺意を抱いた「わたし」が、二十年前に物入に閉じ込められて「取り残された」少年の魂を呼び起こしたら〜。
文体は簡潔で無駄がなく、それでいて直に人の心の琴線に触れてくる鋭さと恐さを有している。
原爆が人の影を石に焼き付けたという話は強烈だった。
魂がその場に残るということの例えである。

宮部みゆきという人は優しさという鋭利な刃物を持った人である。
優しさは、この作家にとって大きな武器である。それは私にとっては脅威である。

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2005年07月18日

ジョルジュ・ランパンの「白痴」

白痴 ◆20%OFF!

製作年 : 1946年
製作国 : フランス
監督は「罪と罰」のジョルジュ・ランパン。
脚本はドストエフスキー原作の小説『白痴』を基に「嘆きのテレーズ」のシャルル・スパークが執筆。
出演は「パルムの僧院」のジェラール・フィリップ、「青い麦」のエドウィージュ・フイエールほか。(goo資料より)

この映画がどれくらい評価されているのかわからない。
ネットで見つけた感想では、いまいちと書かれていた。
だが、どうして、なかなかの力作だ。
まず言っておきたいのが、これはフランス映画だということ。
だから、セリフもすべてフランス語で語られている。
ドストエフスキーの原作にある、あの狂おしいほどの濃密な世界を、あの乾いたテイストのフランス映画で表現できるかと疑問に思う方も多いだろう。

さてさて、フランス人がどうやって、あの「白痴」の世界を描き出すのか、興味深く見た。
予想通り、非常に洗練された映像に仕上がっていた。

主人公の男優と主演の女優が、たいへん綺麗だった。
ムイシュキン公爵役のジェラール・フィリップは、時に蝋人形のように怪しく、ある時は彫像を想わせた。あれほど幻想的なまでに、主人公を美しく描き出した手腕はただものではない。
「白痴」という小説のテーマの一つに「美によって世界は救われる」があるらしいが、
確かに、この映画は美なるものを描きえていると感じた。
ナスターシャ役のエドウィージュ・フイエールは、最初から最後まで熱演につぐ熱演。白と黒の衣装換えは印象的。聖なるもの、魔的なものを、巧みに演じていた。

光の使い方もデリケートだし、音楽、役者の衣装、舞台の道具立ても凝っている。
脚本も原作の贅肉がそぎ落とされ、ばっさりとスリム化されていた。
だから、くどくどしさがなく、すっきりしたストーリー展開が楽しめた。
これはこれでいいと思う。ドスト的世界を再現するのが映画ではない。
監督なりの解釈で別の世界を作るのは自由だろうから。

ムイシュキン公爵、ロゴージン、ナスターシャの三者に、アグラーヤのからむ心理描写は、やはり見ごたえ充分だった。

それにしても、実にナイーブで、美しい映画だった。
この微細な心理描写には、深い愛着を覚えた。

ブラック&ホワイトの映像は象徴性を帯び、目には見えない人間の暗部させも表出していると感じる。
現代の映画に最も欠けているのは、この「象徴性」ではないだろうか。

黒澤明の「白痴」と比べてしまうと、まず言えるのが、ドストエフスキー的な世界の踏み込み方が、圧倒的に黒澤のほうが深いということだ。
だからといって、黒澤の作品のほうが優れているとは一概にはいえないだろう。
作品の洗練度は、この「白痴」のほうが数段優れている。
作品を比較したり、上下をつけることは慎みたい。
それほど、この二本の映画は、何度見ても尽きない魅力があふれている。



といいつつも、やはり原作はあまりにも偉大。活字も大きくなった新潮文庫版が読みやすいので、オススメしたい。





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posted by オグ at 13:50| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 「白痴」について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月15日

ズレの感覚

今日はモスバーガーで、よく行く喫茶店のアルバイトの女の子と出くわした。
ところが、ロクに話もできなかった。
その子が、けっこう性格が明るく、笑顔を振りまくタイプのせいもあったろうが、
僕が「白痴」を読んでいたのが、一番いけなかった。
現実とのズレを一瞬のうちに修正しないと、現役の女子大生とは会話はできない。
何を話そうかなどと考えていたら駄目なのだ。
しかし、もう、絶望的なまでに「白痴」の世界にどっぷりはまっていた。
とうとう何も話せずに、さようなら…。
いくらんでも、会話がまったくできないのは、変だった。
これって、「白痴」の弊害?

確かに「白痴」の世界は、現実社会とは、かけ離れている。ズレにズレているのだ。
出てくる人物はすべて変人ばかり。

先日友人に黒澤明の「白痴」についての感想を求めたところ、かんばしい評価は聞けなかった。
映画というより、演劇だなあ。
役者が芝居してるのを写真まわしてるだけだろう。
何でまた登場人物が、つまらないことで必死になってるの。
深刻ぶってて、疲れないのかなあ。
長い、テンポが悪い、暗い、カッコよくない、後味が悪い…。

「白痴」は、現実社会だけでなく、文学・芸術の世界の中でもズレている。

「白痴」で表現されている世界を現代で描くのは、困難極まりない。
ズレは違和感を生み、時に失笑さえかってしまう。

しかし、それでも僕は、貴重な時間を割いて、約1500ページの長たらしい小説と格闘している。
僕自身が、ズレているせいだろうか。

「白痴」的世界を描きたいという誘惑はある。
しかし、取り扱い注意だ。よほど、バランス感覚を働かせないと、作品として成立しない。

それはとにかく、今日会った女の子、もう口をきいてくれないかもしれない。

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posted by オグ at 22:33| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 「白痴」について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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